半僧坊真殿


 明治14年4月1日、西の富幕山に発した山火事に全山類焼の憂き目に遭った際、旧半僧坊真殿は奇跡的に其の灘を免れました。此の事が全国に知れ渡ると、火防の御利益あらたかとて、講社を作ったりして、数多の善男善女が参拝に訪れることと成りました。此の為、短時日の内に、参籠堂(コモリドウ、即ち、旧宿坊)が構築され、次いで、明治18年には半僧坊真殿が新しく立替えられ、今日に至っています。此の真殿には数々の彫り物が施されていて、中でも真殿登り口軒先部分の一対の一木彫りの龍は圧巻です。


類焼直前、明治11年頃の半僧坊真殿入口の様子、絵の左側に突き出たのが『札場』で右側が受付。真殿は中央建屋の奥に位置します。










半僧坊真殿、拝殿の間手前の大提灯

 左の写真は真殿登り口に在る欅の一木彫り昇り龍で、是れに向かい合わせの降り龍と一対に成っています。作者は後藤岩五郎で、左甚五郎の孫弟子に当る由。












                                        こちら降り龍












 これも岩五郎作の大黒天で縁結びの神ですが若い人達の人気の的

 縁結びの神の隣は子授地蔵です。

大黒天前の賽銭箱ですが浄財は子育てに供するのが主旨です。 

 賽銭箱の世話人は明治初期の人気歌舞伎役者が名を連ねて居ます。


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