縁起


 觀應元年(西暦1350年)、開山様はシナ大陸での8年間に亘る修行の末、唐の國は明州を船出、故國に向われたものの、東シナ海で暴風雨に遭い乗船は逆巻く怒涛に翻弄され、乗客、船頭共に生きた心地もない状況の所、船首に眼光烱々たる偉人(大男)が現れ、『我れ此の船を守り、禅師を護り奉りて故國に送り、正法流傳の太志を遂げしめ奉らん』と言って、船頭を指揮、督励して船を無事博多に着けさせたとの事。
 

 後年、開山様が此の地に御入りになられた時に偉人が再び姿を現し、禅師に教導を乞うた際、願いを聞いてもらえるなら、未来永劫に此の御山を御守りし、衆生に御利益を施す所存であるとの意を伝えた所、開山様は『汝は半ば僧に似たる所あり』と仰せられたのに大いに喜び、『吾は是半僧なり』と称し、人もまた『半僧』と呼ぶことになった由。

 是れが此の御山の鎮守である半僧坊権現であって、心を込めて熱心に誓願すれば、必ず御利益にさずかるとて、厄難消滅、海上安全、火災消除、所願満足の権現様として、信心の誠を尽くす人々があまた居て、その霊験(御利益)を授かる者が枚挙に遑(いとま)がない程で、全國津々浦々に多くの信徒がおられる。

 権現は衆生を救う為、日本の神となって此の世に現れた佛の化身


トップへ