飛騨蔵柱の半僧坊


 
明治時代中期の明治19年、岐阜県吉城郡上宝村蔵柱在住(と思われる)の夫婦が共に、同じ夢を見たとの事。
 夢枕に立った、背が高く、天狗のような高い鼻をした坊さんが白装束姿で現れ、『この山の上に立派な岩屋がある』と告げたそうです。不思議に思っていると、翌朝、旅の坊さんに出合い、益々不思議に思って、近所の人を誘って裏山に上ることにしました。
 凡そ、2キロ程登った辺りで、がさがさと言う音が聞かれ、それに道案内されて登って行くと、大きな岩が立塞がっている所に出ました。その岩を回ってみると、目の前に間口4米、奥行3米程の岩屋が在り、一緒に登った近所の人も大層驚きましたが、岩屋の中に御札が在ったので、それを持って帰りました。
 山を降り、早速御札の御姿を調べて見ますと、それは半僧坊である事が判り、手厚く御祀りすることになりました。
 その年は養蚕の業績がとても良く、養蚕農家の人々の信仰を集めることになり、その後大切に守られて来ましたが、やがて、御堂や拝殿も建てられました。
 毎年、5月5日には御祭があり、地元の村以外からも大勢の人々が御参りに来たそうです。

 其の後、昭和56年の豪雪で拝殿は崩れ、岩屋の中には小さな御社がひとつ、ひっそりと祀られていて、それが上の写真ですが、高い山の上なので、地元の人達も殆ど行く事もなくなり、5月の御祭も公民館で行われる様に成ったそうです。
 御祭の後には、蚕の繭に見立てた白い団子を撒く事は今も受継がれている由。
 
半僧坊の岩屋からは、正面に乗鞍岳が望め、とても景観の良い場所だとの事。

 以上は、以前に『アルプス農場』と言うホームページに載っていた記事を元に再現したものですが、文中の御夫婦の旦那さんは、この文を作成した方の御姑さんの生家の四代目 茂四郎と言う方で、その奥様はたみと言う方だそうです。

 又、同じく文中裏山とあるのは、大雨見山(標高1336米)の事と思われます。

 奥山半僧坊繁栄会としては、5月5日の御祭に是非一度訪れたいと思っております。
 尚
、上宝村は高山市に合併されました。従って現在は、岐阜県高山市上宝町です。


 高山市上宝町蔵柱の半僧坊祭訪問記

 平成17年5月5日、奥山半僧坊繁栄会の一行7名が掲題の半僧坊祭を見学しに出掛けましたが、その時の様子を以下に御紹介します。
 尚、上段の記事の中で、裏山を大雨見山と推測したのは間違いで、蔵柱田谷部落から一時間程の道程の山の事でした。


 御祭会場の田谷地区公民館隣の体育館前での一行。

 体育館壇上に設えられた祭壇。机の中央に奥山半僧坊の像、右手には掛軸が配されている。










 奥山半僧坊像の前で御経をあげる僧侶。読経中に若蓮に依って奏でられる御囃子は本山の奥山半僧坊大祭での御囃子と同じものであった。

 読経の後、繭に模した紅白の餅をカマスから取り出して撒く。

 御餅を拾う蔵柱地区四部落の人々。若い人中心で、150名程が集まってきた。











 餅投げの最後は、餅を入れてあったカマスを放り投げる。

 カマスは若者が奪い合うが、このカマスを今年結婚したり初孫がうまれたりした家に持ち込み酒肴の接待にあずかるとの事。










 上段の文中、御先祖様の夢枕に半僧坊が立ったと言う上野家。明治19年に招請した奥山半僧坊大権現の像が保管されている御宅です。


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